肝臓がんの自然退縮と漢方薬 

【がんの自然退縮とは】

特に治療をしないのにがんが自然に消滅する場合があります。「がんの芽」のようなでき始めのがん(子宮頸がんの上皮内がんなど)や非常に小さながんが食事療法や免疫を高めることによって消える例は、それほど珍しくありません。
手術ができないような進行がんが自然に消えることは非常に稀ですが、そのような症例を経験したり聞いたりしたことはあります。 文献的にも、進行がんの自然退縮の例が多数報告されています。例えば本日(2011年5月28日)の時点で、英文の論文をPubMed(http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed)で「cancer, spontaneous regression, case report」(がん、自然退縮、症例報告)で検索すると1640の論文がヒットします。 進行がんの自然退縮を経験しても英語の論文で報告される症例はごく一部と思われますので、実際はこの何十倍も自然退縮の例はあると思われます。ただ、世界中では1年間に1000万人以上もがんで死亡していますので、進行がんが自然に消滅する割合は極めて低いのは確かです。
しかし、進行がんの自然退縮の頻度は低くても、確率はゼロでは無く、実際に起こっているので(手術不能の進行がんの場合で、数千例から数万例に1例程度と思われる)、このような自然退縮を引き起こすメカニズムを研究することが、がんの治療に役立つと考えられています。
今まで肉ばかり食べていた人が野菜を中心にした食事に代えたらがんが自然に消えたという例が多く報告されています。また、動物性脂肪(オメガ6不飽和脂肪酸や飽和脂肪酸)を減らし魚の脂に多く含まれるオメガ3不飽和脂肪酸の量を増やすと、がんが消えたという症例報告もあります。このような経験から、がんの食事療法は、野菜やオメガ3不飽和脂肪酸の摂取が基本になっています。
感染症などで高熱を起こした後にがんが消滅した症例も報告されています。このような経験から、温熱療法や、細菌成分を注射して発熱と免疫力を高める治療法が行われるようになりました。
がん細胞を攻撃するナチュラルキラー細胞やキラーT細胞の活性化ががんの自然退縮に関与している可能性が高いので、これらの免疫細胞を活性化するリンパ球療法や、がん特異抗原を免疫細胞に認識させるがんワクチン樹状細胞療法などが研究され、がん治療に試されています。
その他にも、がんが急速に増大して血液の補給が間に合わずにがんが虚血によって壊死に陥り、それをきっかけにがんが消滅することもあります。肝硬変を伴った肝臓がんが、食道静脈瘤の破裂で低血圧に陥ったあと、がんが消える例も報告されています。これも、出血による低血圧によってがん組織が虚血性壊死を起こしたためと推測されます。大量の飲酒をしていた人が完全に飲酒を止めると肝臓がんが消えたという報告もあります。
以上のように、いろんな原因やメカニズムで、進行がんが自然退縮する例があることは確かです。民間薬や漢方薬などががんの自然退縮を引き起こしたと推測される症例も数多く報告されています。肝臓がんが漢方治療で退縮したと推測される症例報告を紹介します。

【漢方治療によって肝臓がんが自然退縮した症例報告】

進行した肝臓がんが自然退縮した症例報告(英文の論文)は現在までに20例以上あるようです。そのうち、民間薬や漢方薬が効いたと推測される例も数例報告されています。 「Regression of Hepatocellular Carcinoma: Spontaneous or Herbal Medicine Related」という論文があります。(American Journal of Chinese Medicine, Vol32, No.4, 579-585, 2004) 日本語に訳すと「肝臓がんの退縮:自然退縮か薬草治療の効果か」と言う意味です。自然退縮した進行肝臓がんの症例報告で、薬草治療以外には何も行っていないので、この薬草治療が効いたかもしれないが、その他のメカニズムも否定はできないという趣旨で、このようなタイトルになっています。台湾からの症例報告で、その症例の概要を以下に紹介します。

患者は74歳の男性で、元来、高血圧と糖尿病で治療を受けていたが、1993年に低血糖と意識障害で病院の救急に搬送されてきた。患者は2週間ほど前から、食欲不振、腹部膨満、3kgの体重減少を訴えていた。右上腹部に圧痛を認め、エコーやCTで肝臓左葉に径10cmくらいの大きな腫瘤とその周辺に複数の小さな腫瘤を認めた(下図の左)。肝臓がんの腫瘍マーカーであるAFP(アルファフェトプロテイン)は3500ng/ml(正常は8.6ng/ml以下)と上昇し、腫瘍の針生検の病理検査で、中分化型の肝臓がんであることが判明した。
手術は不可能であるため、カテーテルによる肝動脈塞栓術による治療を提案したが、患者はこの治療を拒否した。糖尿病と高血圧の薬のみ処方し、外来での経過観察を行うことにした。
患者は近くの薬局から処方された漢方薬を服用したが、それ以外の治療は受けていない。 漢方薬の処方(生薬名と1日量)は、Gentianae scabrae radix(竜胆:リンドウ科の多年草リンドウやトウリンドウの根)3.5g、Forsythiae fructus(連翹:モクセイ科レンギョウの果実)7.5g、Amomi semen(縮砂:ショウガ科の多年草シュクシャミツの種子)7.5g、Gleditsiae spina(そう角刺[そうかくし]:マメ科のサイカチあるいはトウサイカチの刺)7.5g、Sennae folium(センナの葉)5g、Gardeniae fructus(山梔子:サンシシの果実)3.5g、Solanum incanum(竜葵:イヌホウズキの全草)7.5g、Mesona procumbens(仙草:シソ科メソナ属の植物)2g、Hemerocallis fulva(ヤブカンゾウ)2gであった。この1日分を2000ml程度のお湯で約30分間煎じ、約半分に煮詰めて、1回に300~350mlを1日3回服用した。
この漢方薬を服用し始めてから6ヶ月後のCR検査では、診断時(1993年5月31日)に約10cmの大きさであった肝臓がん(下図の左)が約4cmに縮小していた。さらに3ヶ月後(診断後9ヶ月後の1994年3月8日)のCT(下図の右)では、がんはほとんど消滅していた。 腫瘍マーカーのAFPは診断時は3500ng/mlであったのが、6ヶ月後には1.7ng/ml、9ヶ月後には1.2ng/mlと正常値になっていた。
36ヶ月後の定期検査では、エコー検査で腫瘍は全く認めず、AFPも正常であった。 患者は同じ漢方薬を、量を減らしながら服用を継続した。2001年に心筋梗塞のため82歳で亡くなったが、肝臓がんの再発は認めなかった。
図:左のCTには肝臓の左葉部分を中心に直径約10cmの肝臓がんが認められる。漢方治療を開始して約9ヶ月後のCT(右)では、肝臓がんがほとんど消滅している。(Am.J.Chin. Med.32: 579-585 , 2004 より)

台湾や中国は肝臓がんが多く、手術などの治療法も進んでいます。しかし、進行した肝臓がんでは治療が困難なことが多く、そのような場合に漢方薬を使った治療も行われていて、抗がん作用のある生薬の活性成分の研究も行われています。上記の症例が服用した漢方薬は、台湾のある地方で肝臓疾患に使用されている処方の一種です。 この論文の筆頭著者の Cheng医師(女医)は、内分泌の専門医で、漢方薬は専門ではありません。私が国立がんセンターで漢方薬とがんの研究を行っていた1996年頃(Cheng医師がこの症例を経験した2年後ころ)にメールで私に漢方薬の抗がん作用のメカニズムについて意見を求めて来ました。Cheng医師が学会で日本に来るというので、東京で会って、この症例について話し合う機会がありました。Cheng医師によると、同じような症例(漢方薬で肝臓がんが消滅した例)を他にも経験しているということで、漢方薬が効いていることは確かなので、この処方について研究してほしいという依頼を受け、その後、台湾からこの処方で最も抗がん作用があると考えられる竜葵(リュウキ)を送ってもらって、動物実験を行ったという経緯があります。現在、私のがんの漢方治療でも、竜葵を多く使用していますが、その理由の一つがこの論文報告にあります。(竜葵の抗がん作用についてはこちらを参照
この論文で記載された患者が他の病気(心筋梗塞)で死ぬまで約8年間再発しなかったので、症例報告として論文に発表しています。Cheng医師本人は漢方治療が効いたのは間違いないと思っていましたが、上司の教授は「漢方薬が効くはずが無い、いわゆる「がんの自然退縮」で他の原因不明のメカニズムでがんが消滅したのだ」という意見だったので「Spontaneous or Herbal Medicine Related」という副題をつけたと言っていました。台湾でも、西洋医学専門の医師は漢方治療については懐疑的なようです。
いずれにしても、この症例で漢方治療が効いたのかの確証はありません。ただ、経験的に竜葵などの薬草が肝臓がんの治療に使われ、それなりに有効例が経験されているのは確かです。 この症例報告の処方に使われている生薬からは、抗酸化作用や抗がん作用のある成分も見つかっていますので、それらが相乗的・総合的に作用してがん細胞を死滅させた可能性は十分にあると思います。
治療が困難になった肝臓がんの治療に、竜葵などの抗がん作用をもった生薬を多く使った漢方治療は試してみる価値があります。